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zoom RSS ドストエフスキー「白痴」(人間を愛するとはどういうことなのでしょう)

<<   作成日時 : 2011/05/05 22:57   >>

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このブログ記事を書こうとしている少し前に何気にテレビを見ていたら、再現ドラマをやっていた。それは一般の方の純愛を扱ったもので、13歳で遠距離の文通を始めた若き男女が、11年間の紆余曲折を乗り越えて結婚し子供を授かるものの、妻をがんで亡くし、天国にいる妻に夫が最後のラブレターを送るといった内容であった。こんな純文学的な再現ドラマを久しぶりに見て心から感動しました。また、たった一人のことを生涯想い続け、結婚しても恋人同士であるという夫の言葉から、好きとかではなく、なにか愛を超えた信仰のようなものに達した姿を見たようにも思いました。

人には幼少の頃の思い出があり、それが一生の良き糧になっている場合や生涯のトラウマとして痛く焼き付いている場合、大人になっても決して忘れ去ることのできないものや、あえてこれらの理由で逆行動を取る場合などさまざまあると思います。小生にもトラウマなのだろうか、コンプレックスなのだろうか、いまだによく判らない幼少期の奇妙な思い出が沢山あり時々思い出します。

さて、「白痴」では主要人物の三角関係の中で人間を愛するとはどういうことなのかを、ドストエフスキー自身の実体験(シベリア抑留)を下敷きに、まるで謎解きをさせられているような形で展開されていきます。主人公のムイシュキンは癲癇という持病があり一人の男として女性をスマートに愛せない。ロゴージンはセクト(去勢派)であるがゆえに逆に原始的な欲望を持つ。そして幻惑的な美人ナスターシャは孤児として、幼い頃ある男性からの性的行為を受けたようである。三者とも何らかの精神的疾病を抱えている。この中で結婚、略奪がいろんな形で繰り広げられていきますが、最終場面が圧巻でした。そして、ナスターシャの死に姿、またそれを見つけるムイシュキン、この場面をあえて平静に美しく設定されてあるのが逆に愛を獲得せんが為の傲慢さをより強調させているように感じました。

作品中では、金で愛を獲得する場合、あえて好きだからこそ愛する人の気持ちを断る場合、失うからこそ好きになる場合、そして愛が信仰になる時など、三者の中での関係性がどんどん変わっていく。そうすると、作品から受けるいろいろな感情が読者の実体験を刺激したり重なりあったりして、もしかすると開かずの間に仕舞い込んだはずのものまでもう一度呼び起したりして自分の深い過去と対話しながらこの作品を読ませようと誘導させているようにも感じました。

一か月以上も前に読みながらアップするのを忘れていましたが、ページをめくり直してみると、改めて「愛」の深淵さに驚くばかりでした。




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