トルストイ「アンナ・カレーニナ」を読んで。(二つの恋愛の形)★★★
やっと読了した。このような長編で、しかもドラマがゆっくり進行されるのに身を任せていると、21世紀の人間として文学作品という枠を超えて、130年前の世の中や人々のテンポ感を味わっているようで、正直な感想を述べるとのんびりした冗長な感想を持ちました。なぜそう思ったか?心理描写が少ないと思ったからである。各章が話し言葉で流麗に流れ、登場人物や情景描写をまるでその場に居合わせているかのように語ってくれるからよく分かるが、小生としてみれば全てを記述されると、大切なものまで薄まって文中に埋もれてしまうのではと感じた。それよりもっと心理描写、作家の心情、社会に対しての態度をふんだんに練り混んだ長編小説であって欲しかった。最も、素人の小生が読了後に素直な感想を吐露しているだけだから、専門の方から見れば当小説は当然ながらの一級品なのだろう。
小生が感じ入ったのは二つの相異なるカップルの描写であった。アンナとブロンスキーの報われぬ激しい恋に対して、都会を嫌い農民になり静かで幸せな結婚をしたリョービンとキチイ、この二者を配し、虚偽に満ちた上流社会の都市生活と地方地主の明るい田園生活を対させていたことである。道ならぬ恋に苦悩し激情するアンナとブロンスキーに対し、一方では万人に祝福され平成な中で静かではあるが確かな愛を育む二人がおしまいを締めくくる。
「アンナ・カレーニナ」を当時執筆中のトルストイは生活と芸術に関する考えを語っていたという。それは、生活と芸術において最も必要なものは唯一…嘘を語らないということだとし、さらにこう語っている。「生活では嘘は汚らわしいが、しかし生活をなくしてしまう事はありません。嘘は生活を汚らわしいことで塗りつぶすが、その根底には依然として生活の真実がある。ところが、芸術ではあらゆる現象があらゆる関連を破壊し、そのすべてをめちゃめちゃにしてしまうのです。」
単なる恋愛小説として読んできたが、実は相異なる形、恋愛、結婚、貴族と農民、実生活と虚の芸術等を簡潔に語らんがために、このロマンを隠れ蓑にして作り上げた作品だと感じた。このドラマは漱石のような意図的なドラマ操作や不自然な行動はない。全てが自然に流れ、どの登場人物もまるで身近にいるかのように振る舞う。しかし最初平行していた二本のベクトルが知らず知らずのうちに左右へ離れていき、気づいたときにはもう180度異なっていた。
この小説は恋愛がテーマではないと思う。人間の中に潜む「二律背反の調和」がそのテーマだと勝手ながら小生は感じた。
小生が感じ入ったのは二つの相異なるカップルの描写であった。アンナとブロンスキーの報われぬ激しい恋に対して、都会を嫌い農民になり静かで幸せな結婚をしたリョービンとキチイ、この二者を配し、虚偽に満ちた上流社会の都市生活と地方地主の明るい田園生活を対させていたことである。道ならぬ恋に苦悩し激情するアンナとブロンスキーに対し、一方では万人に祝福され平成な中で静かではあるが確かな愛を育む二人がおしまいを締めくくる。
「アンナ・カレーニナ」を当時執筆中のトルストイは生活と芸術に関する考えを語っていたという。それは、生活と芸術において最も必要なものは唯一…嘘を語らないということだとし、さらにこう語っている。「生活では嘘は汚らわしいが、しかし生活をなくしてしまう事はありません。嘘は生活を汚らわしいことで塗りつぶすが、その根底には依然として生活の真実がある。ところが、芸術ではあらゆる現象があらゆる関連を破壊し、そのすべてをめちゃめちゃにしてしまうのです。」
単なる恋愛小説として読んできたが、実は相異なる形、恋愛、結婚、貴族と農民、実生活と虚の芸術等を簡潔に語らんがために、このロマンを隠れ蓑にして作り上げた作品だと感じた。このドラマは漱石のような意図的なドラマ操作や不自然な行動はない。全てが自然に流れ、どの登場人物もまるで身近にいるかのように振る舞う。しかし最初平行していた二本のベクトルが知らず知らずのうちに左右へ離れていき、気づいたときにはもう180度異なっていた。
この小説は恋愛がテーマではないと思う。人間の中に潜む「二律背反の調和」がそのテーマだと勝手ながら小生は感じた。
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