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zoom RSS ドストエフスキー「虐げられた人々」(一つの救いを探し求めながら読みました)

<<   作成日時 : 2010/12/29 21:56   >>

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本当に読み応えがありました。以前「罪と罰」を読んだときには、場面展開が唐突だったり、テーマがいろいろとあったため、どうやって読み進めていけばよいか迷いながらページをめくったのを覚えています。しかし、この作品は本当に読みやすかったし貧しき人々の姿、相対する考えのぶつかり合い、作者のメッセージが常に一心同体で進んでいるように感じました。

まずは、冒頭の老人と犬の場面がいい。描写が味わい深いので最初のページから一気に小説の中に引き込まれて行きました。また、登場人物の全てが特徴的でこれが最終場面で思わぬ謎解き解決を果たす。ワルコフスキー侯爵と語り手のワーニャとのディベートは圧巻であるし、少女ネリーの短い生涯は「レ・ミゼラブル」のコゼットを思い出させる。この中でドストエフスキーはある三角関係を表現するためにある音楽作品を記されていた。今度演奏する時には是非この作品を思いながら指揮したいものです。

ドストエフスキーの小説を読んでいると、舞台設定や登場人物、テーマなどが現代社会の抱える諸問題のまさにど真ん中を描いているようで、百年以上前に書かれた作品には思えませんでした。むしろ、現代作家が今を考えながら描いた作品であるようにさえ感じられる。また人は「お金」に支配されて生きている。決して綺麗事だけでは生きてはいけないが、だからと言ってお金だけを考えて生きるのもむなしい。貧しさは罪なのだろうか?そしてお金持ちは何をすべきなのだろうか?どんな人々も人生を振り返ったとき「良かったなあ」と思える社会や考えとはあるのだろうか?最大の幸福を願うことにより少数の人々を不幸にしてはいけないことは分かっているが、逆に多くが貧しい人々であふれ、一部の金持ちがその豊かさによって強い発言をするのも美しくない。あえて政治が悪いとは言わず、それぞれができる範囲内で、そして人生でかかわりをもつ人々との間の中で共に幸せを育む社会はそんなに困難なことなのでしょうか?

小説の中では、いじめる側や言葉の暴力を振るう側も、ある意味において病める人々であるし、生まれながらにして貧しさから決して脱出できない人々が、もとは普通の感情を持ちながら次第に性格まで歪んでいくこともまた病める姿である。

話は全く変わりますが、今ふと思い出した。冒頭で老人の傍らで衰弱死する犬は、では一体どんな思いで息を引き取ったのだろうか?あまり物語の最後をここでは話せませんが、少女の死と照らし合わせると、最後まで老人に付いて歩き、彼が座ればその足元にまるで死んだかのように座る。ひょっとしてこの犬もこの老人のような人生を歩んできたのだろうか。あるいは豊かな暮らしから一転して、捨てられ、自らの居場所を見いだせないまま老人の元に来たのだろうか。

ほとんどが小生の備忘録代わりのコメントとして掲載しているため、とりとめもない文面、お許しください。


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